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なでしこジャパンのMF川澄奈穂美(30=INAC神戸)が31日、自身のブログを更新。人妻となったMF澤穂希(37)がナースに扮したコスプレ姿など、なでしこジャパンメンバーの“お宝写真”を大量アップした。
日本中がハロウィーンに沸いたこの日、川澄は「ハロウィンと言えばやっぱり仮装」と、INAC神戸でともにプレーするMF田中明日菜(27)、MF中島依美(25)らが色とりどりのナース服に身を包んだ写真を掲載。「婦長さんもいまーす…世界の澤さんです」と真っ白なナース服を着て満面に笑みを浮かべる澤の写真もアップした。
コスプレ用のナース服は、スカートが超ミニで“世界の澤”の鍛え上げられた見事な脚線美もあらわな“超お宝写真”。川澄自身は「そして、私は白衣の天使たちを喰らう」と顔や服に血のりメークをほどこしたドラキュラ姿で登場した。このパーティーは31日のハロウィーン当日に行ったものではないそうだが、「今日まで大事に温めてました」「やっと解禁できてスッキリです」とハートマーク3つ入りでお茶目に報告し、満足げだった。
引用元:Yahooニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151031-00000126-spnannex-socc
コカイン所持で逮捕された女優の高部あい容疑者(27)が逮捕前日の今月14日夜、グラビアアイドルの森下悠里(30)が自宅マンションで開いたハロウィーンパーティーに参加していたが「家族に会う」と退席したことが1日、分かった。TBS「サンデー・ジャポン」(日曜前10・00)に生出演した演出家のテリー伊藤(65)が森下から聞いた話として伝えた。
森下と同じ事務所所属の岸明日香(24)ら50人以上が出席。参加者のブログからは、高部が「不思議の国のアリス」のアリスのコスプレで盛り上がる様子がうかがえる。
テリーは「昨日、実は森下と電話で話したんですよ。彼女(森下)はいい迷惑ですよね。聞いてみたら、パーティーって子供もいるんですよね。怪しいパーティーじゃない。(高部容疑者は)時間としては1時間弱いて、家族と会うから出ていったんですって。早めに出ていったらしい」と話した。
警視庁組織犯罪対策5課が麻薬及び向精神薬取締法違反容疑で逮捕。逮捕容疑は15日朝、東京都渋谷区の自宅で微量のコカインを所持した疑い。
引用元:Yahooニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151101-00000088-spnannex-ent
大地を揺るがすようなビヨンセのものまねでブレイクした渡辺直美さん(28)。芸人、タレント、モデル、女優…と幅広い活動を見せていますが、7日からは主演映画「五つ星ツーリストTHE MOVIE~究極の京都旅、ご案内します!!~」も公開されます。今や、老若男女から幅広く支持される人気者になりましたが、スーパーグラマラスボディーの軸にあるのは「オリエンタルラジオ」中田敦彦さんの言葉だと言います。
恩人、私の場合、ホントにたくさんいるんです。ホントに、ホントに、ホントに、皆さんに支えてもらってますから。
ただ、その中でも、いただいた言葉が特に胸に刻み込まれているのが「オリエンタルラジオ」の中田さんなんです。
私は、中学を卒業して、ファミリーレストランでのアルバイト生活を経てNSCに入ったんですけど、ホントにありがたい話、早い段階からいろいろな番組にも出してもらえるようになりました。ただ、22歳、23歳の頃、壁にぶつかったんです。
お仕事をさせてもらうのは、ホントに、ありがたいこと。ただ、できることが少ないうちからお仕事をさせてもらうようになったので、他の先輩芸人さんと同じようなことを求められるものの、それができない。また、周りの先輩方が何でもできるスゴイ人が多かったので、余計にできない自分がつらくなると言いますか…。
いろいろできないことがあったんですけど、中でも、特に苦手だったのが大喜利。ただ、芸人だったらできて当たり前みたいなところがあって、より追い込まれました。だから、あんまりこういうことをバラしちゃうのもよくないのかもしれませんけど(笑)、一生懸命練習したりもしたんですけど、それでもできない。頑張ってもできない。それでまたよりしんどくなる。そんな悪循環に陥っていたんです。
そんな時、たまたま中田さんと同じ仕事になったんです。地方に行く営業だったんですけど、移動のバスの中で、ふと素直に聞いちゃったんです。「私は大喜利もできないし、苦手なことがたくさんあるし、どうやったら、できるようになるんですかね」と。
引用元:Yahooニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151101-00000003-wordleaf-ent
デビュー20周年を迎えた相川七瀬が、織田哲郎の楽曲をカバーしたアルバム『TREASURE BOX』を発売。デビュー曲「夢見る少女じゃいられない」が大ヒットし、いきなり栄光を掴んだからこそアーティストとして悩んだ日々もあったが、結婚・出産を経て復帰し、現在はバラエティ番組などでも活躍。サウンド同様、ロックな波瀾万丈のアーティスト人生について相川が語った。
◆このままじゃおかしくなる!って…
――相川さんはデビュー曲「夢見る少女じゃいられない」で、いきなり大ブレイクを果たしました。その後、20年間の中で“相川七瀬”を辞めたいと思ったことはありましたか?
【相川】 ありました。私の場合、このままだと自分はおかしくなるなって時期がちょうど結婚のタイミングでした。それがなかったら、多分、心が折れていたと思います。でもそこで強制終了のように息子が生まれて、本当に自分が欲しかったもの、例えば落ち着いた生活や自分と向き合う時間、そういうものをあの瞬間に仕事と引き換えに手に入れました。それはすごく難しいことで、あの時期は仕事を手放さければ得られなかった。だから重い決断だったけど、人間としての自分を考えると、方向転換ができて良かったなと思います。ただ、そこからは浮いたぶんだけ沈んだ時間っていうのが10年ぐらい続きました。
――10年も?
【相川】 長かったけど、今思えばすごく貴重な時間でした。自我と戦ってきた10年だったし、足りないものを補って来た10年でした。自分は何のために歌を歌い続けていくんだ? みたいな、歌手としての在り方がわからなくる時期もありました。次男が生まれたあと体調を壊したり、声が出なくなったりして、思うように自分をコントロールできないことが心身ともに辛くなっていたんです。でもその時期に今はライフワークになっているモノを書くことのベースとなった、心理学を学べたのは大きかった。どんなに沈んでも心のバランスを崩さずにいられたのは、セラピストとして勉強して活動したり、自分の感情に巻き込まれないトレーニングをひたすらやっていたからだと思います。
――そうやって心身のバランスを取り戻していくなかで、改めて音楽とも向き合っていった?
【相川】 そうですね。そこは次男の存在も大きくて。私が音楽と離れていたかった時期にも、“相川七瀬”のライブDVDを次男が家で観ていたりするんですよ。私は観たくないし、聴きたくないのにと思っているのに(笑)。でもいやいやながら観ているとだんだん「結構、いいステージだったな」って思えるようになってきて(笑)。自分が勝手に思い込んでいた過去は決して、悪いものなんかじゃなかったって素直に観られるようになった。今思うと、それがリハビリだったんでしょうね。彼のおかげで音楽をしている自分と向き合いたいなって思えた気がします。さらにその頃、東日本大震災があって、それをきっかけに私の音楽への取り組み方がまったく変わりました。
――すごいタイミングですね。
【相川】 そう。本当に震災のタイミングでスイッチが切り替わった。それまでは昔の曲を歌うのはキツいと思いながらステージに立っていたこともあったけど、これが最後かもしれない、明日はないかもしれないと考えたら、昔の曲であれ何であれ喜んで聴いてくれる拍手してくれる人がいるなら、歌いたいと。そうしたら、こだわりとか執着がみたいなものがふっとなくなって。何より私自身が歌っていて幸せだってことに気づいたんです。ここに辿り着くまでは随分長い道のりでしたけどね(笑)。
◆ラッキーだったのは織田哲郎が、私の人生をプロデュースしてくれた
――波瀾万丈ですよねぇ。
【相川】 振りが大きければ、その分の返りの幅も大きいですからね。でも私が本当にラッキーだったのは織田哲郎って人が私の人生をプロデュースしてくれたからだと思います。彼は歌手としての私に責任を持ってくれただけでなく、私の人生も大人になるまで預かってくれた。そのおかげで道を逸れることはなかったので、本当にありがたいなって思っています。
――音楽以外にもいろいろ言われたりしたんですか?
【相川】 言われましたよ。特に20代の頃はちょっとでも調子に乗っているとよく叱られました。私生活においても、踏み外しそうになる時にはいつも「お前、本当いい加減にした方がいいよ」とお父さんみたいに(笑)。私が沈んでいるときも「お前は雑草のように野太く生きて行けるから心配するな大丈夫」って。
――そんな20年を振り返ると、長かったですか? それともあっという間でした?
【相川】 長かったですね。ずっと忙しく活動していたら、あっという間だったかもしれないけど、私は活動していた期間とできない期間の両方があったから、ひと口には語れない。
――20年間、歌い続けると思っていました?
【相川】 全然。だって20歳が思う40歳って大人すぎてイメージが湧かなかった。でも自分がいざこの年になると、中身はこの程度なのかって思うけど(笑)。色んなことがあった20年間だったけど、ミュージシャンとして私は絶対こうなりたい! というこだわりが良い意味でなかった事が私にとってはプラスだったのかなと思います。
――でも、結果的に相川さんは20年間“ロック”を貫いてきました。それができたのは何でだと思いますか?
【相川】 結局、色んなサウンドを作っていても、自分が一番燃えるのはロックなんですよね。私は歌謡曲もPOPSも大好きだし、いろいろなジャンルを試したりもしたけど。ライブで歌って燃えるのってやっぱりロックだから、そこが自分のフィールドなんだなと本当に思います。
――では、いま“夢見ている”ことはありますか?
【相川】 やっぱり20周年まできたら、次は30周年を目指したい。そのなかでどう熟した歌手になっていくのか、これからの10年はまた修行です。まだまだがんばらないとダメだなって思っています。
引用元:Yahooニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151030-00000360-oric-ent