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北斗晶 乳がん手術後初めてブログ

北斗晶「まだ右胸を見る勇気がない」手術後初ブログ 乳がん手術後初めてブログを更新した北斗晶  乳がんのため今月24日に右乳房全摘出手術を受けた元プロレスラーでタレント北斗晶(48)が26日、術後初めてブログを更新した。  胸の腫瘍は、2・5センチほどになっており、脇のリンパにも転移していたため、脇の腫瘍も取ったという。

経過について「順調に回復しています。自分の足でトイレにも行けるようになりました」と書き、右手のリハビリも始めたとした。  北斗は「オッパイが片方ないのは、洋服の上からでも分かるんだけど、どうしても自分ではまだ右胸を見る勇気がなくて…。見たら、パニックになっちゃいそうなので、もう少し落ち着いたら、気持ちをしっかり持って1歩進めればと思います」と、戸惑いもつづった。

 また、24日に亡くなった川島なお美さんと共演した思い出にも触れた。「お人形さんのようなかわいい方で。楽屋にはかわいいダックスフントを連れて来られてて川島さんの収録終わりに、愛犬たちが楽屋から飛び出して喜んで川島さんに飛びついてお帰りお帰りしてたのが印象的でした。少しでも一緒に仕事をさせていただけたことは本当にありがたく感謝いたします」。

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持田香織が語るELTと歩んだ半生

持田香織が語るELTと歩んだ半生「35歳を過ぎてようやく…」

「デビュー当時は、こうして人生の半分以上をEvery Little Thing(以後、ELT)として活動できるなんて想像していなかったです」

 笑顔で語る、持田香織(37)。8月8日にデビュー20周年イヤーに突入したELTが12枚目のオリジナルアルバムと4枚目のベストアルバムを9月23日に発売。さらに、10月からは全国28か所を回る半年にわたるツアーもスタートする。

「振り返ると、いろいろなことがあったなと思います。いちばん最初に出た音楽番組が生番組の『ミュージックステーション』で、緊張して声がうわずったまま1曲を終えて、トラウマになったり、同期のSPEEDがものすごく元気に踊り歌う姿を見て“すごい!”って衝撃を受けたり(笑い)」

 当初、持田、ギターの伊藤、キーボードの五十嵐の3人で活動していたELT。’00年にグループの中心人物であった五十嵐が脱退した際には“2人でも大丈夫?”という目を向けられていると、強く感じたそう。

「だからこそ、(伊藤)一朗さんと『fragile』でオリコン1位をとれたことが力になりました。みんな寝ずにクタクタになりながら作った曲だったので、本当にうれしかった」

 その後、数々のヒット曲を生み出していったELT。しかし、平坦な道だったわけではない。

「ツアー中にのどを痛めて、ライブを2本くらい中止にしてしまったこともあったし、20代後半の女性ならではの身体の変化も経験しました。求められていることと、できることのギャップがあって、7~8年悩んでいましたね。35歳を過ぎた、ここ2年くらいでようやく“辞めないでよかった”と思えるようになりました」

 相棒の伊藤や、周囲の人たち。ファンの支えに助けられながら歌い続けてきた。

「もしかしたら、今がいちばん楽しいかもって思えるんです。不思議なんですが、嘘みたいにいろいろなことが整理されていって、生活をともにするパートナーにも出会えた。あんなに苦しかったのに、歌うことが気持ちよくてしょうがないんです。だから今回のツアーは“絶対にいいと思う!”って言いたいし、これまで支えてもらった方々へ恩返しがしたい。元気である限り、一朗さんとELTを続けていけたらいいなと思います」

■幸せをちょっぴりおすそ分け

川島なお美さん、抗がん剤治療拒否 最後まで女優としての人生全う

川島なお美さん、抗がん剤治療拒否 最後まで女優としての人生全う
川島なお美さん
 女優の川島なお美さんが24日午後7時55分、胆管がんのため都内の病院で死去した。昨年1月に腹腔(ふくくう)鏡手術を受け、仕事復帰もしていたが、今月7日のイベントでは痩せ細った姿が見られた。抗がん剤治療を拒否し、女優として再び舞台に立つことはかなわなかった。女優と恋とワインに生きた人生だった。
 1年9カ月にわたった闘病生活は、抗がん剤治療ではなく、民間療法を選択。免疫力を向上させる食事療法などを取り入れた。その理由を「抗がん剤の副作用でステージに立てなくなる可能性があるなら、私は最後まで女優として舞台に立ち続けたい」と周囲に明かしていた。発表会での凄絶(せいぜつ)な姿も、女優として人生を全うする覚悟の表れだった。
 「私の血はワインでできている」との名言通り、ワインを愛したことでも知られた。手術の後は、ほとんど口にしなかった。代表作のドラマ「失楽園」をきっかけに作家・故渡辺淳一さんとの関係が取り沙汰されるなど恋多き女性としても知られた。
 また、昨年11月、鎧塚さんと一緒に眠るためのお墓を探して東京・麻布の寺院を訪れている姿も目撃されていた。遺書も用意し、鎧塚さんに「一緒にお墓に入りたいからできれば再婚しないでね」とのメッセージを記していた。
 25日未明、川島さんの遺体は鎧塚さんと共に無言の帰宅をした。
引用元:Yahooニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150925-00000001-spnannex-ent

HKT48 そばかすのキス

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