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女性アイドル界から減少する「解散」 「卒業制度」がもたらした変化とは?

女性アイドル界から減少する「解散」 「卒業制度」がもたらした変化とは?

 節分が過ぎ、季節は春へと加速していく。そして、桜の開花とともに学生たちの「卒業」の時期も本格化する。エンタメシーン、なかでも女性アイドルグループに目を向けると、昨年から今年にかけて「卒業」の報が相次いでいる。ファンにとってはショッキングであり、寂しさや悲しみを伴うものだろう。その一方で、「卒業」によって、そのメンバーにもグループにも新たな道が開けてくる。しかしながら、この「卒業」という表現(システム)は、昔から普通に取り上げられていたものではない。1970年代のアイドル、具体的にはキャンディーズやピンク・レディーといったアイドルグループには「卒業」という転機はなかった。区切りの表現に用いられたのは「引退」「解散」だった。


◆脱退に「卒業」という言葉を用いたおニャン子クラブ

 では、そんな「卒業」が大きく取り上げられた最初はいつなのだろうか。確証はないが、おそらくおニャン子クラブから設立時のメンバーであった中島美春、河合その子の2人が脱けた際のことではないかと思われる。事実、この顛末を綴る記事によっては「脱退」「引退(中島のみ)」といった表現も見られた。だが、おニャン子クラブが「放課後のクラブ活動」をイメージしていた点、芸能界から完全引退する中島をフィーチャーしたシングルの発売時期が卒業シーズンだった点なども相まって、「卒業」という表現が主流となり、番組内でも中島、河合の「卒業式」が行われるに至った。これを始まりとして、同グループからメンバーが脱ける際には「卒業」が使われることとなる。

 とはいえ、おニャン子クラブが当時(1980年代半ば)、他の追随を許さない女性アイドルグループだったことや、また87年にはおニャン子そのものが消滅、さらにその後のアイドルグループに“国民的”な存在が誕生しなかったことも重なって、その後、マスメディアを通してアイドルシーンにおける「卒業」が喧伝される機会は一気に減少してしまう。

◆グループ名を“ブランド”にして継続 モー娘。が築いた新しいアイドル形態

 次にアイドルグループからの「卒業」がクローズアップされるようになったのは、モーニング娘。以降のことだ。おニャン子クラブという不世出のアイドルグループからいろいろなノウハウを学んだプロデューサーのつんく♂は、メンバーの去就に際し、「卒業」という表現を用いた。おニャン子クラブ同様、メンバーの離脱という衝撃をソフトにコーティングしたものだった。

 ただ、大きく異なったものがある。「クラブ活動」からの卒業という言葉の置き換えに過ぎなかったおニャン子に対し、モーニング娘。のそれには「グループの存続」、もっと大げさな表現をするなら「ブランドの存続」というもう一つの命題があった。メンバーは出ていくけれども、“モー娘。”というグループは続いていくということを打ち出すための「卒業」であったと思われる。事実、1997年に第1期のメンバーによって結成されたモーニング娘。だが、現在のメンバーの大半はその時に生まれていない者ばかりである。卒業を重ねることでグループの新陳代謝を図る――この構図はAKB48にも受け継がれ、いまや多くの女性アイドルグループがそのシステムに倣っている。

◆2~3年でアイドルと共に卒業したファンにも変化 アイドル界の活動歴が長期化

 こうしたシステムが、ファンの行動にも変化をもたらした。かつてのアイドルグループには個々のメンバーへの強い応援があった。キャンディーズで言うなら、ラン派、スー派、ミキ派というファンの集合体がグループを支えていた。おニャン子クラブのファンにもその傾向は少なくなく、新田恵利や国生さゆり、高井麻巳子などの人気メンバーのファン同士が「派閥」を形成し、そのバランスの中でグループを応援していた。そのため上記のメンバーが「卒業」した際には、そのファンの数だけグループ本体もファン離れを起こし、勢いを削ぐ状況へ向かっていくこととなった。「卒業」という表現はあったにせよ、ファンにとって、構成メンバーは絶対的な存在であり、そこに変更という考えはなかったことを示す事例だと言える。今でいうなら、「推しメン」がグループを去る時は、自分もグループの応援を「卒業」する時、という考え方だ。

 ところが、モーニング娘。のように、メンバーが次々と交代しながらもグループは継続し、ファンもまた彼女たちを応援し続ける例が生まれ始めると、その後は「推し変」「ハコ押し」するファンが当たり前になってきた。背景にあるのは「情報収集」の多様化だ。かつて、芸能誌やテレビ番組がアイドル情報を得るわずかな方法であったのに対し、インターネットの普及以降は、いつでも最新の情報を入手することが可能になった。少しでも気になったならそれらの情報を手に「推し変」することは格段に容易になった。

 ましてや、握手会などアイドルと直に接してその人となりを実感する機会も増えている。大人数のグループが増え、個々のメンバーの個性が明確になってくると、70~80年代のアイドルシーンを支配していた「メンバー固定」「変更不可」という価値観は崩壊していく。アイドルの活躍するフィールドが広がることで、あらゆる方面からの新規ファンを導入することも可能になった。もちろん、そこにも「情報収集」が容易に行えることは大きな影響を与えている。かつて、2~3年と言われたアイドルの活動歴は、いまや5年、10年が不可能ではなくなった。ファンの「推し歴」が長くなっている現状を見ても、現在のアイドルシーンは、この後も続いていくのではないだろうか。
引用元:Yahooニュース



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石坂浩二 皮肉たっぷり降板騒動初激白「どうせ放送されないから好き勝手に」

石坂浩二 皮肉たっぷり降板騒動初激白「どうせ放送されないから好き勝手に」

 テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」の司会降板をめぐる騒動で、俳優の石坂浩二(74)が31日、直撃取材に応じ、スポニチ本紙に初めて心境を明かした。この日、東京ドームで開幕したテーブルウェア・フェスティバルに参加した。


 本紙が1月28日に降板騒動を報道して以来、初めて口を開いた石坂は、「降板となった思いは?」の質問に「思いねえ…」としばらく黙り込んだ。約2年間、番組内での発言が編集でカットされており、放送を見て「ずっと(おかしいと)言ってました」とし、「この番組は公開(収録)ですから」と、観客も石坂が発言していることは知っているとした。

 発言がカットされることが分かっているため、収録冒頭には「(司会の)今田(耕司)君と2人で好き勝手なことを言って“どうせこれは放送されない”と年中言っていた」と明かした。「安心してましたよ。何を言っても大丈夫だから」と付け加えた。

 番組には22年間出演。開始時から一緒に司会を務めた島田紳助さん(59)の名前を挙げ「紳助君とずいぶん話して基本的なものが出来上がった。そのスタジオの雰囲気が画面に映るから視聴率が良いのだろう」と話した。今でも視聴率が好調なのは、紳助さんと作り上げた番組の骨格があるからとの思いがあるようだった。

 石坂と制作会社所属のチーフプロデューサーが約10年前、酒席で衝突。番組関係者によると、降板の背景に浮かび上がっているそのチーフプロデューサーは紳助さんが11年に引退後、「番組全体を仕切っていた紳助さんのポジションになった」という。

 番組で石坂のコメントがないことを心配するファンも多いが、「病気ではないですよ」と説明。4月からはBSジャパンで「開運!なんでも鑑定団 極上!お宝サロン(仮)」に出演。「新たな気持ちでやらなきゃあかんという気持ち」と吹っ切れたようで、今後、騒動について語ることはない様子だった。
引用元:Yahooニュース



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桐谷美玲が胸キュンセリフに「感無量でございます」

桐谷美玲が胸キュンセリフに「感無量でございます」

 女優桐谷美玲(26)が主演するテレビ朝日系連続ドラマ「スミカスミレ 45歳若返った女」(5日スタート、金曜午後11時15分)の制作発表が31日、東京・六本木の同局で行われた。


 65歳の澄(すみ)が20歳の女子大生に若返り、すみれと名乗って青春をやり直す物語。桐谷が若返り後のすみれを、松坂慶子(63)が若返る前の澄を演じる。

 主人公は彼氏いない歴65年で初恋を経験することから、それぞれ胸キュンセリフを聞かれた。桐谷が「寒いけど大丈夫? と言ってもらえるとうれしい」と明かすと、初恋相手役の町田啓太(25)がすかさず桐谷の手を取って「寒いけど大丈夫?」と熱演。桐谷は「感無量でございます」と笑顔を見せた。及川光博、小日向文世らが出席。
引用元:Yahooニュース


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フジ社長 SMAP謝罪に「感謝したい」 番組を前に進めていける

フジ社長 SMAP謝罪に「感謝したい」 番組を前に進めていける

 フジテレビの亀山千広社長(59)が29日、都内で会見を開き、18日に生放送された同局の「SMAP×SMAP」について言及した。「番組を前に進めていけるという実感をしたことは事実ですので、5人には感謝したい」と語った。

 当時の局内の状況を、亀山社長は自身も含めて、「一連の報道が出た時から製作スタッフ一同が不安になっていたと思います」と振り返った。その上で、「5人が事務所とスタッフとの協議の上で、自分たちの言葉でしゃべることを放送すると決めたことに関しては、ファンの不安を5人が考えてくれて、ファンや番組に対しての愛を感じました。それについて感謝したい」とSMAPの決断に敬意を表した。

 また、番組の今後については「番組を前に進めていけるという実感をしたことは事実です」と今後も番組を継続できることを喜んだ。また、ドラマ「若者のすべて」でプロデューサーの立場で木村拓哉とはタッグを組んでいるが、今回について相談は「一切、ありませんでした」とした。

 謝罪放送では、冒頭に木村が「このままの状態だとSMAPが空中分解になりかねない」などと状況を説明し、他のメンバー4人が次々に謝罪。締めくくりもリーダーの中居正広ではなく、木村が「ただ前を見て進んで行きたい」と結んだこと、また、草なぎ剛が「ジャニーさんに謝る機会を木村くんが作ってくれて、今僕らはここに立ててます」と内幕の一部を語ったことで、ジャニーズ事務所からの退社を考えた4人が“さらし者”のように扱われたのではないかという指摘が上がっていた。
引用元:Yahooニュース

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ロンブー・田村淳がベッキー釈明会見で許せなかったこと 「素直に心情を吐露すりゃいいのに…」

ロンブー・田村淳がベッキー釈明会見で許せなかったこと 「素直に心情を吐露すりゃいいのに…」

1月6日、不倫騒動の渦中にあったベッキーが記者会見を開いた。しかし会見は不評で、一方的に話すだけで記者からの質問は受けつけなかったことが、批判をさらに大きくした感すらあった。


『週刊プレイボーイ』本誌で「天空のブランコ 田村淳の脳内両極論」を連載中のロンドンブーツ1号2号の田村淳氏は、この会見について言いたいことがあるという。

時事問題について、あえて「悪い」「悪くない」の両極端な立場で思考実験をする同連載。今回は自身の怒りを代弁してくれたと語る「悪い」の立場での“極論”を紹介しよう。

* * *

結局のところ、ゲス野郎と不倫しようが何をしようが、どうでもいい。興味もない。友達だと言い張るのであれば、それでいい。友達ってセフレのことかもしれないし(笑)。けど、今回の騒動で許せない、見逃せないのはベッキーが開いた釈明の記者会見。

あれが最大の悪なのだ。

だってさ、マスコミを呼びつけておいて、誰にでもわかるウソばかりを口にする。しかも、質問を受けつけないで会見を終わらせるって、なんなんだよ。あれはもう、わざわざ集まったマスコミに対して失礼すぎるだろ。あのさ、世間に納得してもらうために開くもんでしょ、会見って。あれじゃ不信感がさらに募るだけじゃんか。

例えば、ゲス野郎とのLINEのやりとりの流れとか、世間が知りたいことをひとつも答えてねえんだもん。あんな会見を開くんだったら、やらないほうがよかった。沈黙を守っていたほうが、よっぽどマシだったと思う。

表面的には、逃げずに会見を開きました、正々堂々としているでしょ、といわんばかりだったけど、結果的には何ひとつ正々堂々としていなかったもんな。僕らはベッキーが不倫という傷を負っているのはわかっているんだよ。なのに、どうしてその傷を会見で見せてくれなかったんだろう。

正直に、あの会見で「これまでの私は不倫をいけないものだと思っていました。でも、いつの間にか既婚者を好きになっていました。その時点で、もう止められず、今回のような事態を招き、皆さまにはご迷惑をおかけしました」と言ってくれたら、それほどバッシングは受けていなかったと思う。こっちのほうがベッキーらしかったよ。

やっちまったもんは不倫なんだしね、正直に言おうがウソをつこうが、どっちみちペナルティを食らうんだし、それだったら素直に心情を吐露すりゃいいのに。それをごまかし、CMスポンサー向けの釈明会見で世間の疑惑から逃げようとしたベッキーはやっぱり、どう考えても悪い!

* * *

発売中の『週刊プレイボーイ6号』では、これと正反対に「ベッキーは悪くない」という立場でも会見を分析。さらに、「悪い」「悪くない」の両極論から考えることで見えてきた、「ベッキーにやってほしいこと」まで自身の言葉で語っている。そこから導いた結論は…本誌にてお読みいただきたい。
引用元:Yahooニュース


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